結構前からですが、たまに自己啓発系の本を読みます。
お気に入りは石井裕之さんですが、たまに違う人も読みます。
だいたい皆さん、内容は同じようなことを書かれています。
まぁ当然ですが。
大抵どの人でも言うことで、やりたいことをやる、自分に正直に生きる。
というのがあります。
突然ですが、ある本によると、虐待の定義は「やりたくないこと、いやがることを強制的にやらせること」らしいです。
よって、自分自身でもやりたくないことをやるのは虐待と同じと。
多くの人は、やりたくないこと(仕事など・・・)をしながら日々過ごしていると思います。
本当にやりたいことだけやって過ごしている人はほとんどいないと思います。どちらかといえば、やりたくないことがほとんどの人の方が多いと思います。
はっきり言って、自分に正直に、やりたいことだけをやって生きていく、なんてのは理想論です。
ただ、僕はその本の著者を批判しているのではなく、ちょっと言葉足らずかなと思うだけで、80〜90%位は同意見です。
僕は自分では90%くらいはやりたいように生きてます。もちろん、BESTのことではなく、BETTERです。
やりたいことってのは必ずしも1番やりたいことではなくても、2番目、3番目にやりたいことってのもありますから。
そういった意味で、日々の生活でどちらかというとやりたいことを、90%位にしていくのが自分的の人生観です。
自分は今はそうに生きていると思います。ただ、どちらかというとやりたいことを、もっとやりたいことに変えていく努力はもちろん必要で、やりたいことをやるための10〜20%程度のやりたくないことをやることも必要だと思います。そういった意味での「ちょっと言葉足らずかなと思うだけで、80〜90%位は同意見」ということです。
また、その一点だけ(やりたいことをやって生きるという項目のみ)をピックアップしているので、それらの本全体を読めば、「やりたいこと」の捉え方も若干変わってくるので、多少誤解があるかもしれません。その部分の補足を少し。
人は何かを感じるときに、ほとんどの場合、ほかの物との比較です。
嬉しいと感じるのは、日々、嫌なこと、何でもないことを感じているから、嬉しいと感じられるのです。嫌なこと、普通のこと「よりも嬉しい」から嬉しいと思うのです。別な言い方をすると、おなかが空いたと思うのは、普段おなかが空いていない状態にあるから、おなかが空いたときにそれに気づくのです。
そうに考えると、普段幸せを感じていない人は、普段の生活が他の人より幸せだからです。だから、他の人が幸せに感じるちょっとしたことがあっても気づかないのです。或いは、自分が不幸せだと思いこみすぎて、幸せな出来事があっても遮断しているのです。
こんな経験ありませんか?
全然好きでも可愛いとも思わなかった女の子が、ひょんなことから付き合うことになって、付き合うにつれ、可愛く思えていったり、愛しくなったり・・・。
または、今まで嫌いで絶対に食べなかったものが、ふと食べる羽目になり、以外とおいしかったとか。
いつもおいしいものばかり食べている人は、普通の人がおいしいものを食べてもおいしいと思わなくなったり、絶対まずいと思っている物は食べようとも思わない。
人生も同じです。
幸せを自分から感じようと思えばちょっとした幸せにも気づくはずです。
仕事に関しても、いやだいやだと思っているだけで、その仕事の深いところに入り込み、やりがいを見つけることを拒絶していませんか?
結局そういうことだと思います。
嫌いな人がいれば、その人のいいところを見ようとはしないものだし、逆にさらに悪いところを見つけようとまでする。そんな生き方をしてないですか?
そこに注意するだけで、毎日の生活が充実してくると思います。
「やりたくないこと」を「やってもいいこと」「やりたいことをするためにやらなければならないこと」に変えるちょっとしたアドバイスでした。
生きていて無駄なことなんて何もありません。
お気に入りは石井裕之さんですが、たまに違う人も読みます。
だいたい皆さん、内容は同じようなことを書かれています。
まぁ当然ですが。
大抵どの人でも言うことで、やりたいことをやる、自分に正直に生きる。
というのがあります。
突然ですが、ある本によると、虐待の定義は「やりたくないこと、いやがることを強制的にやらせること」らしいです。
よって、自分自身でもやりたくないことをやるのは虐待と同じと。
多くの人は、やりたくないこと(仕事など・・・)をしながら日々過ごしていると思います。
本当にやりたいことだけやって過ごしている人はほとんどいないと思います。どちらかといえば、やりたくないことがほとんどの人の方が多いと思います。
はっきり言って、自分に正直に、やりたいことだけをやって生きていく、なんてのは理想論です。
ただ、僕はその本の著者を批判しているのではなく、ちょっと言葉足らずかなと思うだけで、80〜90%位は同意見です。
僕は自分では90%くらいはやりたいように生きてます。もちろん、BESTのことではなく、BETTERです。
やりたいことってのは必ずしも1番やりたいことではなくても、2番目、3番目にやりたいことってのもありますから。
そういった意味で、日々の生活でどちらかというとやりたいことを、90%位にしていくのが自分的の人生観です。
自分は今はそうに生きていると思います。ただ、どちらかというとやりたいことを、もっとやりたいことに変えていく努力はもちろん必要で、やりたいことをやるための10〜20%程度のやりたくないことをやることも必要だと思います。そういった意味での「ちょっと言葉足らずかなと思うだけで、80〜90%位は同意見」ということです。
また、その一点だけ(やりたいことをやって生きるという項目のみ)をピックアップしているので、それらの本全体を読めば、「やりたいこと」の捉え方も若干変わってくるので、多少誤解があるかもしれません。その部分の補足を少し。
人は何かを感じるときに、ほとんどの場合、ほかの物との比較です。
嬉しいと感じるのは、日々、嫌なこと、何でもないことを感じているから、嬉しいと感じられるのです。嫌なこと、普通のこと「よりも嬉しい」から嬉しいと思うのです。別な言い方をすると、おなかが空いたと思うのは、普段おなかが空いていない状態にあるから、おなかが空いたときにそれに気づくのです。
そうに考えると、普段幸せを感じていない人は、普段の生活が他の人より幸せだからです。だから、他の人が幸せに感じるちょっとしたことがあっても気づかないのです。或いは、自分が不幸せだと思いこみすぎて、幸せな出来事があっても遮断しているのです。
こんな経験ありませんか?
全然好きでも可愛いとも思わなかった女の子が、ひょんなことから付き合うことになって、付き合うにつれ、可愛く思えていったり、愛しくなったり・・・。
または、今まで嫌いで絶対に食べなかったものが、ふと食べる羽目になり、以外とおいしかったとか。
いつもおいしいものばかり食べている人は、普通の人がおいしいものを食べてもおいしいと思わなくなったり、絶対まずいと思っている物は食べようとも思わない。
人生も同じです。
幸せを自分から感じようと思えばちょっとした幸せにも気づくはずです。
仕事に関しても、いやだいやだと思っているだけで、その仕事の深いところに入り込み、やりがいを見つけることを拒絶していませんか?
結局そういうことだと思います。
嫌いな人がいれば、その人のいいところを見ようとはしないものだし、逆にさらに悪いところを見つけようとまでする。そんな生き方をしてないですか?
そこに注意するだけで、毎日の生活が充実してくると思います。
「やりたくないこと」を「やってもいいこと」「やりたいことをするためにやらなければならないこと」に変えるちょっとしたアドバイスでした。
生きていて無駄なことなんて何もありません。
